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ここで、そこで、いろんなところで

日々の生活の中で想う、エッセイ未満のことたち

ぐずぐずしていたら、もうすぐ会期終了。

ということで、あわてて日帰りで行ってきた。


ここで、そこで、いろんなところで


絶対に観たかったのはクリスチャン・マークレーの「The Clock」。

今現在流れている時間と上映されているスクリーンの時間が一緒に移行する。

なんとも不思議な感覚。

一分の間にたくさんの出来事が起こる。

拉致されたり、ジュースをコップに注いだり、キスしたり、時計を壊したり、考え込んだり、バスに乗っていたり・・。

知っている俳優さんたち、知っている映画がたくさん出てくる。

私が確実にわかったのは「80日間世界一周」と「刑事コロンボ」

ヒッチコックっぽいのもあったし、場面や俳優さんから映画を想像するのも楽しい。

この作品を観ている私も、そしてスクリーンの中で演技している俳優さんたちも同じ時間を共有している楽しさ。

そして、一分、一秒の中で、こんなにたくさんのドラマがあって、人生があるってなんだか素敵。


イエッペ・ハインの体験型の作品も楽しい。

誰かが椅子に座って体感しようとすると、みんなが集まってくる。

ちょっぴり恥ずかしい瞬間。
ここで、そこで、いろんなところで


岩崎貴宏さんは繊細で小さな作品が主だけれど、今回はそのささやかな感じをそのままに、空間を大きくとり込んだ作品に仕上がっていてとってもキュート。

みんなで作品のありかを探しあっていて、見つけた時はちょっと自慢。
ここで、そこで、いろんなところで

うれしかったのは久しぶりの泉平のいなりずし!

なぜか新港ピアのカフェにおいてあった。

一時期お店もなくなって、デパートからも撤退していたけれど、今では復活しているみたい。

思わず買ってしまった。

今でも横浜球場で売ってるんだね。

ここで、そこで、いろんなところで


テーマはテーマとして、アートに遊んだ楽しい一日。


よこはまトリエンナーレ


http://118.151.165.140/

番組が終わった後、ちょっとの間、現実に戻ってこれなかった。

今でもその余韻は残っている。


曽根崎心中は私が観たことのある唯一の文楽。

初めてその演目を観た時、その情感こもった人形の美しさにすっかり参ってしまった。

最後の心中の場面では、覚悟を決めたお初の凛とした姿に涙が溢れて仕方がなかった。

死ぬことでしか成就されない切ない恋の物語。


文楽の人形は、人形であることを超越していて、別世界にいざなってくれる。


杉本文楽はオリジナルにこだわり、今まで割愛されてきた場面も盛り込まれているし、演出もこれまでの文楽にない仕掛けも取り入れている。

番組では杉本文楽のエッセンスしか観ることはできなかったけれど、それだけでも、この舞台に臨む杉本さんや文楽を支える人達の意気込みがtvの画面を通してビシビシと伝わってきた。

これを生で体験できなかったのは本当に残念。


でも、あの広い会場で、しかも花道での心中場面は、席によっては観にくかっただろうし、あのお初の最後の美しい表情もちゃんと観ることはむずかしかったんじゃないだろうか・・?


とはいえ、鳥居や仏像の本物の重圧感や、そぎ落とされた演出は、より一層物語のコアな部分を引き出していて、見事。

通常の文楽ではあっさりとしている心中場面がオリジナル通りに長く語られる。

生々しいはずの死の場面が美へと昇華されていて、その世界に引き込まれてしまった。


杉本博司さんという卓越した美意識を持った方の作品に触れることのできる幸せ。


同じ時代を生きってよかったな。

アートを好きでよかったな。

日本人でよかったな。


しみじみと感じた時間。



この世の名残 夜も名残

~杉本博司が挑む「曽根崎心中」オリジナル~

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/1016.html

映像が綺麗なわけでも、登場人物が善行をしているわけでもない。


不法就労者、依存症、ヤクの売人・・。

華やかなバルセロナの裏で必死に生きる人たち。


主人公は二人の子供を男手ひとつで育てている。

生活のため、非合法な仕事にも手を染める。

その彼が余命2カ月と宣告される。


「海洋天堂」も同じようなストーリだけど、善人ばかりが登場したこの映画と違い、「ビューティフル」はみんなダークな部分を抱えている。

でも、みんな生きるために一生懸命だ。

家族を養うために、国にお金を送るために、ともかくがむしゃらに働き、稼ぐ。


救いようのないストーリーの中で、ほのかな希望の光が見える。


主人公が娘に教えるビューティフルのスペルは間違っている。


生きていくことは汚くてカッコ悪い。

でも最高に美しい。


スペルは間違っていても、その読み方は「ビューティフル」だ。



ビューティフル

http://biutiful.jp/index.html

やっと観ることができた。


福島の原発事故を経験した今だからこそ、この映画の重みが胸にズシリとのしかかる。


上関原発に反対して行動を起こしている祝島の人たち、そして、火力や原発に依存しないエネルギーを選択したスウェーデンを取材した丁寧なドキュメンタリー。


本当の豊かさってなんだろうか?

私には、昔ながらの漁業と農業を続けて生活している祝島の人たちの暮らしこそ、「真に豊かな暮らし」のように思える。

そして、転勤ばかりで根なし草のような生活をしてきた私には、島の暮らしを守ろうとする人たちの団結力がまぶしいくらいだった。


ダムに沈んだ徳山村のことが頭をよぎる。

「ふるさとは心の宝」

徳山村の増山たづ子さんは、サインにいつもそう添えていた。


エネルギーに関してきちんと考えて、選択しなければと思う。


深く胸にしみる映画。


宗派に関係なく、神の愛とは何かを静かに問いかける。


異教徒の村の中で、尊敬され、慎ましく生活する修道士たち。

そこにテロの危険が迫る。


異教徒もテロリストも、同じ隣人として困っていれば手を差し伸べる。

イスラム教徒の村人のパーティーにも参加する。

アーメンと言い、インシャッラーと言う。

軍(暴力)による保護を断り、帰国命令も拒否し、村人たちと生きることを決意する。


これが実話であるということ。

人はこんなに崇高に気高くなれるのかと思う。

真の信仰とはまさにこういうことを言うのだと思う。

彼らが自分の内に神を見出し、涙を流すシーンが美しい。


タイトルは

「あなた方はみな神々だが、男として(人間として)死ぬであろう」

と言う聖書の一節。



神々と男たち


http://www.ofgods-and-men.jp/

「国家規模のねずみ講」とはよく言ったものだと思う。


金融庁、銀行、証券会社、格付け会社、経済学者、etc・・・

みんながグルになって投資家や一般市民からお金を巻き上げていく。

バブルがはじけ、恩恵を受けた人たちは、罪にも問われず、お金も返済せず、さらに退職金などを受け取ってまた政治に入り込んでいる。

コツコツと働いて貯めた年金が投資した債券の暴落であっという間にパアになる。

残った膨大な借金は国が肩代わりし、税金が投入される。

リーマンショックについてはある程度理解しているつもりだったけれど、ここまでヒドイからくりがあったなんて・・。

観ているうちに段々と腹が立ってくる。


私の中にも欲望はある。

その欲望が肥大して叶えられたらこうなるんだろうか・・。

まるでホラーのようなドキュメンタリー。


インサイド・ジョブhttp://www.insidejob.jp/

どちらも親子がテーマ。


SOMEWHEREは娘との絆を通して自分を再確認する父親の物語。

成功しても、お金があっても何かむなしい。

ソフィア・コッポラの映像はふんわりとしていて核心はオブラートに包まれていてる。

幸せはどこかにあるものではなく、ここから一歩踏み出してみつけていくもの。


海洋天堂は自閉症の息子と余命3カ月の父親。

監督・脚本が「北京バイオリン」のシュエ・シャオルー。

今回もお父さんの愛情の深さ、息子のけなげさに泣かされる。

そして、まわりの人たちがとってもいい人たちなのもほっとする。


私の親戚の息子は知的障害を背負っている。

ネットで知り合った友人はお嬢さんが自閉症だった。

親の方が先立つのが世の常。

死が近いことを知り、息子と心中しようとする父親。

ジェット・リーが扮するお父さんの思いが親戚や友達とシンクロする。


二つの映画を観て、西洋と東洋の家族の愛情の微妙な違いを感じる。

それでも、子供を愛していない親なんていないよね。


親と子はきっと永遠のテーマだな。


SOMEWHERE

http://www.somewhere-movie.jp/index.html

海洋天堂

http://kaiyoutendo.com/index.html

大人になったユスフが見たくて「卵」を観に行く。


観終わった後で、パズルのように映画のシーンが意味することが分かってくる。


スランプ状態の詩人ユスフにお母さんが亡くなったという知らせが来る。

イスタンブールから久しぶりに育った街に戻るユスフのお話。。


映画の冒頭でお母さんが歩いて行ったのはあちらの世界。

この監督さんは現実の世界の映像を使って非現実なものを提示する。

こちらも想像力を働かせながら映像を観る。


三部作の最初がこの「卵」

先に後から創られた「蜜蜂」と「ミルク」を観ているので、逆にそれが邪魔をして「あのシーンとこのシーンはどう繋がるのだろう」とかあれこれ考えてしまう。

一番最初に「卵」を観て、「蜂蜜」「ミルク」で大人になったユスフに思いを馳せた方がいいようだ。


亡くなったお母さんはユスフが戻ってきてくれることを望んでいた。

でも、本当に戻ってきてほしかったのは、ユスフの身体ではなくて心だったのだろう。

自分のルーツ、根っこにあるものを取り戻すことで、詩人としての魂も取り戻せることを望んでいたのだろう。

それはユスフ自身のことでもあり、きっと今のトルコのことでもあるのだろう。


卵は「生まれる」ことの象徴。


夜が明けて朝が来る。

ラストでは雷の音とともに希望が見える。



http://eiga.com/movie/56180/



久しぶりに美しくて静かな映画を観た。


「蜂蜜」「ミルク」「卵」は三部作なのだそうだ。


「卵」が一番最初で、次が「ミルク」、「蜂蜜」は一番最後の作品。

そして、主人公の年齢が作品を追うごとに段々と下がっていく。


「蜂蜜」は静謐な森の中の物語。

音楽は一切なし。

セリフも少ない。

自然の中には美しい音が溢れていて、人が創った音楽以上に饒舌。


ユスフ役の少年がとても表情豊かでかわいい。

ユスフの夢が現実と非現実の境を曖昧にする。


生も死も含め、そして魂も私たちは自然の一部であることを思い出させてくれる。


あまりにも「蜂蜜」が素敵な映画だったので、三部作のもうひとつ「ミルク」も観た。

冒頭のシーンにはドキリとさせられる。


「蜂蜜」で少年だったユスフが少し成長している。

森を出て、母親と二人で乳牛の世話をして生計を立てている。

「蜂蜜」でも牛乳が大切なメタファーとして登場していた。

こちらは思春期で、母親との関係を通して、自我の芽生え、心の成長がテーマとなっている。

ラスト近く、愛する母親を見つめるユスフの表情が印象的。


壮年になり、詩人となったユスフが登場する「卵」もいつか観て観たい。


蜂蜜

http://www.alcine-terran.com/honey/




久しぶりの展覧会。


小谷元彦展へ静岡県美へ。

第一室は体験型の作品「インフェルノ」

豊田市美には「9THROOM」がある。

奈落に落ちていくような、天に登って行くような体感。


有機的で美しい作品たち。

「ファントムリブ」とは指などを亡くした後もそこに指があるかのような感覚のことらしい。

作品の中を漂っていると、皮膚におおわれているはずの自分が体外へ漏れ出していくような不思議な感覚になる。

作品に触れていないのに、触れているような感じ。

初出品の作品もあったけど、出展されていない作品もあったし、その場から受けるインパクトもあるので、森美でも観たかったな・・。

http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/exhibition/kikaku/2011/02.php


初体験の静岡市美。

ハンス・コパー展。(6月26日まで)

左右対称の花器たち。

一度成形された器を繋ぎ合わせて一つの器にする独特な技法。

ルーシー・リーの器も展示されていた。

彼女はハンスの才能を開花させた人。

私の好みとしては繊細で女性らしいルーシーの器が大好き。

でも、花器としてはハンス・コパーの作品にひかれる。

ハンスの器は寡黙。

生けた植物が語るのを静かに待っている。

http://www.shizubi.jp/exhibition/future_110409.php



松井紫朗展を観に豊田市美へ。

本当はフェルメールを観にと言うところだろうけれど・・・。

あいトリの時、あの緑のバルーンの中に入れなかったので、今回はリベンジ。

展示してある作品を体験型と勘違いして遊んでしまい、注意されてしまった・・(苦笑)

JAXAとの共同プロジェクトもあって、これからのアートの可能性を感じさせるものも。

しかし・・。

フェルメール人気はすごかった。

あんなにたくさんの人がひしめいている豊田市美も久しぶり。

フェルメール、恐るべし。

http://www.museum.toyota.aichi.jp/home.php


体感できるアートは楽しい。